責任は誰にあるのか

未曾有の経済危機の中、世界19カ国の一般消費者を対象に行われた『世界経済危機に関する消費者意識調査』において「経済危機をもたらした責任」に対する日本人の回答は世界の人々と異なっていました。世界全体の調査結果としては今の経済状況をもたらした責任は「自国の政府にある」とする人が24%と最も多く、次いで「アメリカの責任」の14%が続きます。日本人の回答を見てみると「アメリカの責任」が32%と最も多く、「自国の政府」は12%に留まっており、「企業の欲望」20%、「ブッシュ政権」13%に次ぐ4番目の位置付けとなっています。

この調査結果から「日本人は問題に対して自分達の責任と考えず、責任は他にあると考えがちなのではないか?」と思い、『責任』について少し書いてみたいと思います。

責任は無いほうが良いか?

日経新聞とNTTレゾナントの20代若手社員に対する共同調査によると、「取締役になりたくない」との回答が65.7%に達したと報じられています。理由は「責任を負うのが面倒」が60.8%となっており、「責任」に対する拒否感があるようです。

確かに「責任を負う」や「責任を取る」など、「責任」に続くことばはマイナスイメージの言葉が多いようにも感じます。

海外ではどうでしょう。アメリカでは、「責任とは感情、考え方、行動に関する、ものの見方と日々の習慣のこと」として、常に責任ある行動をとるように小学校で繰り返し教えるようです。現在の世界的な経済危機に対してもオバマ大統領はアメリカの責任を認めました。国の代表が責任を認めることは珍しいケースだとは思いますが、誠実さ、潔さを感じます。

責任は誰にあるのか?

以下の場合、皆さんは誰に責任があると思いますか?

ある会社で、自社で展開する新製品企画を各部から提案させ、優秀な提案を実際に事業化する取り組みが行われました。研究開発部門の若手リーダーの提案が、課長承認、部長承認を経て提案され、新規性、実現性が高く、投資回収計画も妥当な見込み数値であるとして役員による評価委員会で最優秀企画となり、社長承認を得て事業化が進められました。新製品は予想に近い数値で売れていきましたが、投資回収の数値が想定通りに進みませんでした。原因は若手リーダーの投資回収計画に単純な計算ミスがあったことが分かりました。この責任はだれにあるのか?

若手リーダーか? 管理職としての課長か? 最終決断として社長か?

責任の範囲が異なる

ある人は以下の様に答えました。

『それぞれに責任があり責任の範囲が異なる。若手リーダーには単純なミスを犯した責任があり、課長にはミスを見逃した責任がある。部長には回収計画の不備に気付かなかった責任があり、役員会は企画選定の責任がある。そして社長には最終的な意志決定者としての責任があり、「自分の責任ではない」ではなく、「それぞれの役割における自分自身の責任」が存在するはずである。』

この問いに正解は無いかもしれませんが、1つの回答としてはおもしろいと感じました。

コラム担当:イノベーションデザイン部
富山 達朗

※執筆者の所属は執筆当時のものであり現在とは異なる場合があります。